子供時代にピーマンと向き合ったら、苦手なことを平気でやれる自分になった

何でも乗り越えられる
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誰にでも苦手なことや苦手な物がありますよね。

苦手だと思ってしまうと、もうそれに近づきたくもない。対処するのも嫌。

でも、考え方一つでうまく対処できるようになるかもしれません。

自分の経験を振り返ってみたら、こうやって乗り越えてきたなと気づいたことがありました。

目次

初めての試練

今までで一番最初に苦手なことに直面したのは、子供時代。

ピーマンという食べ物に接した時、人生で初めて試練を感じました。

青臭いし苦い。美味しくない。

しかし、母が作ってくれたものを無下に「食べたくない!」と言うのも憚られました。

そこで、ある発想の転換をしてみました。

発想の転換で得られたこと

どうせ食べなければならない、なら「どうしたら美味しく食べきることができるか?」を考えました。

その時に出たのはピーマンの肉詰め。大きいピーマンががっつり貼り付いてます。

幸い肉が一緒にいるので、肉多め+ピーマン一部なら肉の味が勝る。
肉の味を楽しむことに集中しました。

もう一つは、ソースの味を意識すること。

結果的にピーマンをほぼ無視した食べ方ですが、食べてみると、苦いといっても別に大したことないんだと気づきました。

子供ならではの大げさな感覚ですね。
少しでも嫌だと感じると、嫌なことしか見えなくなってしまう。

その後、ピーマンは肉味噌炒めや酢豚、ナポリタンなど様々な形態で食卓に現れましたが、どれも嫌だと思うことなく食べるようになりました。

なんならこのちょっとした苦味もいいじゃないかと、良い点として感じられるまでに。

今思えば小さなことですが、この体験から、何かに直面したときは「どうすればやり遂げられるか?」と考えるようになれたのです。

挑戦する時のもう一つの発想

とはいえ、やったことのないことに挑戦するときは腰が引けてしまうものです。

水泳の授業で初めてプールに入る時、深くて大きな水の中に入るのが怖かった記憶があります。

恐怖が勝ってしまったのか、どうすればできるか?という発想になりませんでした。

そこで、今度は「やってみたら面白いかも?」と考えてみました。

みんな泳いでいる。なんだか楽しそうにしている。
やってみたら面白いのかも。

と同時に、
私だけ面白さを知らない状態?私だけ損してるんじゃないか?

と妙な損得勘定も沸き湧き出てきて、期待と焦りが自分を突き動かし、水の中へ。

入ってみたら、足がつくし、何ともない。
一体何を怖がっていたのやら。

苦手と思っていることでも、やってみたらできることは意外とあります。

この事から、やらずに面白いことを取り逃がして機会損失になる方が嫌だと考えるようになりました。

苦手のままが嫌で、ゲームにした

体操、球技、書道、絵、リコーダーなど、よく考えたら勉強以外に学校で習うことが沢山ありましたね。

人によって得意不得意はあるものですが、苦手意識を持つとその後もやりたくなくなってしまいます。

私は苦手なことを苦手のままにしておくのが嫌で、とうとうゲームにしました。

オセロゲームで石をひっくり返すような感覚で、「苦手なんて、得意に変えてやるぞ!」と挑戦していったのです。

その結果、できたこともできなかったこともありますが、苦手だったことができるようになると、やった!という達成感を味わえて楽しくなりました。

後にそれが自分の強みや趣味に変化したものもあります。

嫌がってやらずにいると嫌なまま。ひっくり返せば楽しいものになる。

やらずに避けていると損することもあると、大人になった今も実感しています。

変化は発想の転換から

食べ物の好き嫌いから始まったこれらの発想と経験は、特に社会に出てから自分を助け、成長させてくれるものとなりました。

苦手意識を、物事を面白くするチャンスと捉え、変化することができました。

あの時、嫌い!食べたくない!と言って拒否し、さらに親がそれを許していたら、
その後も「あれは嫌、これはやりたくない」と少しでも不快なものを避けるようになっていたかもしれません。

どんなことにもきちんと向き合って対処していくと、実はそんなに嫌がるほどのことでもないと分かったりします。

苦手なことがあっても気にならない人なら良いけれど、私にとってはこれが意外とストレスでした。

苦手を平気に変える技は、苦痛を減らし、楽しいと感じる機会を増やしてくれました。

ピーマンと向き合えた自分に感謝!

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